「広報あびこ」でルーツを探る「カッパまつり」の由来

我孫子市内小学校の運動会で踊られている”かっぱ音頭”と”あびこカッパまつり”

「広報あびこ」から、これらのルーツを探ってみました。

 

 

1961(昭和36)年 河童音頭ができた!


 

その1 歌詞を募集した!

 

・河童音頭は 1961(昭和36)年、まちおこしを目的に作られた

・当時あった我孫子音頭は歌詞が古く時代に合わなかった

・昔から手賀沼にはカッパが住むという伝説があった

・「河童音頭」の歌詞を一般公募(入選2万円)した

↑(広報あびこ s36.3.16号)

入賞賞金2万円・・あまりピンときませんが

 当時の賃金相場を知る参考資料を発見!

↑(広報あびこ S36.4.16号)

 

つまりおおよそ日給50日分だったわけです。

 

その2 歌詞が決定した!

 

・全国(北海道~九州)から140の応募が集まった

・採用:松島たまみさん(福岡県大牟田市)の作品

・補詩:松井 由利夫(ゆりお)(氷川きよしの恩師と言われている) 

 

↑(広報あびこ S36.5.16号)

 

その3 曲も作られて歌が完成した!

 

・作曲・編曲:飯田 景応(けいおう)(代表作:月の法善寺横丁など)

・歌:藤島桓夫(たけお)(紅白出場7回、代表作:月の法善寺横丁など)

・振付:野口まちこ(町役場職員・踊りの先生)

 

その4 大々的な発表会を行った!

 

こうして完成した河童音頭を広めようと、いろんな取り組みがあったそうです。

 

↑(広報あびこ S36.7.1号)開催案内 

 


かっぱまつり


 

この年の商工まつりを”かっぱまつり”と命名し、7月15日から18日までの4日間開催しています。

(内容) 

・かっぱ音頭舞踊コンクール

・かっぱ音頭完成記念近隣市町村宣伝キャラバン

・かっぱ音頭発表会

・藤島桓夫ショーなど 

 

踊りを広めるために、我孫子の商工会婦人部の方たちが、湖北や布佐、柏方面にまで回ったそうです。

こうした努力の甲斐あって、今では盆踊りや小学校の運動会でも踊られるようになったと言われています。

 

↑(広報あびこ S36.8.1号) 

1970年


1961年に生まれた”かっぱ音頭”は、我孫子町の中で着実に広がっていきました。

そして1970年、我孫子が町から市に変貌を遂げた記念イベントが開催されました。

 

 

 

↑(広報あびこ S45.6.29号) 

 

【市制施行記念イベント】

・中央学院大記念駅伝

・NHK総合テレビ「町から村から」で紹介

・自衛隊女子鼓笛隊の祝賀パレード

・記念市内パレード

・提灯行列

・カッパ音頭大会(市内3ヶ所で開催)(翌年から『手賀沼まつり』として開催)

1971年以降


河童音頭の完成から25年間の動き

なんと、灯篭流しや水泳大会、ミスコンも開催されていたのですね。当時の写真などをお持ちの方は、ぜひ、ご提供ください。

 

こうして我孫子市民に愛されてきた手賀沼まつりですが、道路事情などにより1986(昭和61)年で幕を閉じました。皆さん、この時は残念だったでしょうね・・。

 

手賀沼花火大会

そして翌年、1987(昭和62)年から、2市1町合同の手賀沼花火大会が開催されるようになったわけです。

(以上、引用元:広報あびこ、他)

 

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仮装かっぱ音頭

そして時は流れ、2007(平成19)年のこと。地元の青年会議所がまちおこしイベントを開催しました。第1回仮装かっぱ音頭です。第1回・・ということでしたが、第2回はありませんでした。

 

あびこカッパまつり

2008(平成20)年には、青年会議所だけでなく、市民、団体、行政で実行委員会を編成し、第1回あびこカッパまつりが開催されるようになったわけです。